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「うどんとの出会い」

もともと香川県で生まれ香川県で育ったということもあり幼少の頃から朝、昼、夜とうどんが食卓にならばなかった日がないくらいうどん好きの家でした。
よく近所の製麺所へも日曜日、小銭を持って買い物にも行っていました。

今でも日曜日になると近くの神社で、近所のおばさん達がボランティアで うどん作りを一般に公開しており、もちろんその場で食べれます。
これが又美味いんです。 買って帰ったうどん玉をしょうゆだけかけ、よくかき混ぜて卵を入れて食べるとむちゃくちゃ美味しかった記憶があります。 これが現在の釜玉うどんのルーツだったかもしれません。 今は亡き父親が台所の片隅で打ち込みうどんを作ってくれ食べていたのを昨日の出来事のように思い出します。

中学から高校まで一緒だった同級生の父親がうどん屋さんを営んでおり、たまに遊びに行くと車が新車に替わっており私が友人にうどん屋さんは、儲かるんかと聞いてみると≪馬鹿にするなよ≫と答えが返って来ました。今思えばこれが日銭商売の強みだと思いました。 この言葉が今でも心の片隅に残り忘れられません。







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「資金集め」

高校を卒業してからは、将来は自分でなんらかの商売をしたいと考えており、それが飲食店なのか普通の会社なのか漠然とした思いをずっと胸に秘めておりました。

中学の時、父親を亡くしてからは自分で何とかしなければいけないと言う気持ちが人一倍強くなり、22歳位までは職をいろいろ変わり、体力にはめっぽう自信のある私は、大手運送会社(佐川急便)に入社し独立の資金を少しずつではありますが貯めていく決意だったのですが・・・ 

その当時、自分のお客さんの中で小さいうどん屋さんがあり、よく食べに行ってました。 食べ終わってからは厨房の中に入り作り方などをお店の方にちょくちょく教えてもらってました。 これが私がうどん屋さんをする原点だったと思います。

お金も少し貯まってくると見栄も張りたかったのでしょうか、高級外車を購入したり ブランド物の服、高級腕時計と贅沢三昧でした。4~5年で独立資金を貯めよ うと当初 考えていたのでしたが、会社内での昇進もあり結局11年間勤めました。時間の経過は早いもので、あまり資金も貯められず意志の弱い人間だと痛感しました。

真剣に貯金していたら、3千万くらいは貯まっていたと思います。




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  • 源平うどんのお中元

「開店に向けて」

うどん屋をすることを決め運送会社を辞めてからは、香川県にはうどんの機械を製造販売している所が何箇所かあることを知りました。さらにそこではうどん作りを教えてもらえる短期の講習が有ることを教えて頂きました。それらすべて受講しうどん作りの基礎をかたっぱしから学んでいきました。

元来の性分から、実際に店舗に入り実戦で覚えるのが一番いいと思い、修行先を紹介してもらい1年間無我夢中で学びました。休みもいただかずに、少しでも早く独立したかった為、休憩中は近くの本屋でうどんに関する本を全て買いあさり必死で読み勉強しました。

やらなければいけないと言う自分へのプレッシャーもあったせいか、よく失敗をして怒られました。 逆に技術が身に付くのも早かったかも知れません。自分の今があるのは、根気よく教えて頂いた大将、スタッフの方々のおかげです。現在も感謝いたしております。 当初、菊もみ(だんご)がうまくできず粘土で子供が遊んでいるような状態でした。 今でこそ新入社員に教える時などに、当時の事をよく思い出します。
俺もこんなに下手だったのかと?でも何をするにも決して諦めないことです。







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  • 源平うどん大好き隊

「自分の城」

修行も終わる頃にちょうど良い空き店舗の情報が入りましたが、すぐには契約にいたりませんでした。
なぜかと言うといろいろ読んでいた本の中に書いていた、まさにそのものの物件だったのでしたが、いざとなると悪いことしか頭の中をよぎりませんでした。
自分自身に自信がなかったのです。
その後、いろいろ知り合いの方に見ていただき、全員といっていいほど「いい物件だよ」と 教えていただきました。
片側1車線の左カーブに店舗があり150メール先からも看板が見える 最高の条件です。後に勉強してわかったのですが、店舗を借りる際、条件面でいろいろな法則があるのです。

食器とか備品関係は夜行バスで大阪の道具街に買い付けに行き地元でそろえるよりも2割ぐらい安く、資金が乏しかった私には非常に助かりました。 店の工事も始まり店舗が少しずつ出来上がって来ると、嬉しいのもあると同時に、一国一城の主になることへの自信の無さゆえに不安が常につきまとっていました。
スタッフの募集、面接、業者の方たちとの打ち合わせや、自宅でのだし作り等とあまり寝る間もなく忙しかったですが、振り返ることも出来ず前進あるのみでした。あの頃は、がむしゃらだった反面、精神的には気弱になっていた自分でした。

当時を省みて思い浮かぶどっかで聞いたことのある言葉ですが、『自分の道を切り開くのは 、自信と勇気』 これに尽きるのです。

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「開店」

厨房機器も入りようやく1週間後にオープン出来る時点で知り合いの方、20名位に食べに来ていただき、味の評価、店構え、メニューなどいろんな意見を聞き改善していきました。

しかし知り合い同士では、本音を聞くことが出来ず、後から知ったのですが知り合いの 一部の方が「あれでは半年ですね」と言っていたことを耳に挟んだことが屈辱となり、それからのバネになったのかも知れません。 自分も同じ立場にいたら本音を言えなかったと思います。でも今は違います。本人の為にもきちんと悪い処は言うべきだと思います。

いよいよオープン当日(平成13年3月16日) 修行先だった、大将が手伝いに来て頂いて神様に思えた事を懐かしく思い出します。
1週間ぐらいが過ぎ自分にも余裕が出てきだしました。ある日レジを閉めると1日に70万ぐらいの売上げがあり、うどん屋なんてこんなに簡単に出来るもんだと天狗になっていました。
お恥ずかしい話ですが、その売上は新装開店時のドタバタにはつきものの、単に前日のレジを閉めるのを忘れており2日分の売上げの勘違いだったのでした。
また、オープン当初はあまりにもお客さんの来店が多かったので、慌ててしまい厨房の中でこけて鼻血を出しもって接客したりした笑い話も有りました。

1日1日が体はしんどいですけど、楽しくて仕方ありませんでした。 まだどん底へ落ちるとも知らず天狗になっていたのですから・・・

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「どん底」

オープンして3ヶ月が過ぎた頃から、売上げが少しずつ下がり始め半年過ぎた頃にはオープン時の約半分まで下がりどうしようもない状態まで下がりました。花輪効果で何もしなくても、お客様は自然とご来店して頂いてることも知らず、自分の力でお客様に来て頂ける状態にしたのだと自分自身天狗になっていました。
この様な悪い状態になってくると気持ち的にも余裕がなくなるのか、いつも一人でイライラして、従業員に八つ当たりしたり、家庭内で口論と悪い方向へどんどんと落ちていきました。 何をやってもうまくいきません。もちろんマニュアルすらもないですから うどんの中に髪の毛が混入していたり、レジの打ち間違いなどのクレーム対応、 食材の品質管理の徹底なども完全にはできておらず、廃棄処分等のロスもたくさんありました。
半年近く時が流れ売上げもオープン時の半分までに落ち込み、異変に気づいたスタッフも何名かは去って行きました。全て自分が悪いのですから仕方 ありません。 何が悪いのか全く想像もつかず、何も改善努力をしなかった事で、すごく悩んだ時期でもありました。

1年位経った頃だと思います。もうこのあたりで駄目だったら店を閉め会社勤めをし、やり直そうと考え始めていた頃、 たまたま当店自慢のしっぽくうどんがマスコミの取材を受け テレビで放送され一気にオープン当初ぐらいのお客様が来店され、常連の方も少しずつですが増えて来て売上げも次第に回復してまいりました。

今も毎日が勉強の日々ですがとにかく飲食店は当たれば天国、はずれば地獄。 まさに明暗がはっきりしている業種だと思います。 この期間本当につらい時期でもありじっと我慢してやってきてよかったと思います。 1年間一所懸命やってみて駄目だったら店を閉めることも考えました。 自分の保険も解約し現金に換え支払いに回したり身の周りで現金に変えれるものは変えていきました。 それでも足りず運送会社を退職する時に妻に車を買っていたのも売ってしまう事も考えていました。今となっては本当にお金で苦労もし、また勉強にもなりました。 店を持つことは簡単ですが維持継続することが大変なのです。 辛いことも沢山ありましたが、逆にお客様から「美味しかったよ」と言われると、うどん屋をして心底良かったと思います。

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「繁盛期」

いろいろとすったもんだとあり2年目からは少しずつではありますが売上も1年目に比べ 良くなりつつ、なんとか自分の給料が毎月とれるくらいまでなり 生活も少し楽になりました。
店のスタッフとも仕事が終わってからは、 近くの居酒屋でたまに酒を飲んでは「これからはこの部分をこうして、ここをこう変えましょう」とかいろいろ話をできる時間が増え、いろんなアイデアも考えました。
雑誌に広告を載せたり、店内でイベント的なことをやり、とにかく1人でも多くのお客様に来ていただくことを考え実行してみました。 このようなことが実を結んだのか、毎月の売上が前年度対比で103%以上に伸び売上を伸ばしました。
店を出して勝負をかけるには、それこそ綿密な戦略、戦術をたてなければなりません。 立地から資金調達、越えなければならないハードルはいくつもあるんです。

私のお店ではこだわりをもち、自家製の出し巻き卵や、うどん屋にしては 珍しい天ぷらをとりそろえております。食材に関しても昆布や醤油はもとより、ゆでる釜などの調理什器すべてにこだわりをもちお店を出すからには、負けるわけにはいかない。 そのために細心の心づかいは必要だし、手を抜くわけにはいかないんです。
私がここまでやることができて思ったことは、頭のいいやつが勝つとはかぎらないということです。学校で優秀な成績をおさめた人間が、みんな成功しているわけではないんです。落ちこぼれでも勝てるのです。なにより、自分が実践していますから。

今まで私が身に付けた技術とか知識をこれからうどん店を創めようとする方の 少しでもお役に立てれば良いと思いペンを執りました。 また、ここに書けないこともたくさんありますが皆さんの第一歩の資料として ご参考に使っていただければ、嬉しい限りです。 一緒にうどんの美味しさを広めていきましょう。 最後に私のこだわりを少し紹介させていただきます。

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「麺のこだわり」

皆さんご存知のように、うどんは塩、水、小麦粉だけで作っています。 当店においてうどんを混ぜる時に使う塩水は、特殊な塩と軟水を使用して 塩水を作っており、季節によって塩水の量をうどん粉25kgに対して多くしたり、少なくしたりして微妙なさじ加減が必要であり、また日々の気温、湿度にも対応して毎朝作り、何年もの間、日々のデーターをとり毎日同じ用に 同じうどんを作る努力をしております。

この塩水の温度管理も必要であり、だいたい20℃くらいが適温とされて います。 夏場の暑い時などは、冷やしたり、冬場の寒い時は温めたりして特殊な機械を 用いて当店では、温度の調整を行っています。

塩水の濃度をボーメ、塩水の量を加水と呼びます。 先ほどの軟水の話に戻りますが、軟水とは、水に含まれるミネラル分のうち カルシウムとマグネシウムの含有量を目安に使います。 この2つの成分が水1Lあたり何ミリg含まれるかを『硬度』と言います。 硬水とは硬度が高い水、軟水とは低い水と言う事です。 小麦粉(うどん粉)の選択がうどんの食味の決め手の第一条件となります。

当店では数種類のうどん粉をブレンドし、ある物を混ぜ合わしこれら全ての 配合比率を決め、春夏秋冬で配合の比率を変えて製粉会社に製造して いただいております。 これによって艶のあるもちもちとした食感のうどんを作る為の 第一歩になるわけです。 季節に応じて麺を切るのも太さとか、厚みも変え夏場はざるうどんが 多いですので少し細めに仕上げ、冬場はかけうどんが多いですので少し 太めに、切り方を変えることにより、当然ゆがきの時間も変わってきます。 通常は切り幅1.6としたら、厚みは1.0の比率にしております。 おいしさにこだわる為いろいろな努力が必要なのです。

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「だしのこだわり」

毎朝当店では一番だし(しろだし)を炊きます。
その中身は昆布、しいたけ、 ??(?は秘密です)、いりこ、節類を水数10Lに対して適量を入れ、水は先ほど述べた軟水を 使用し、節類は花かつお、めじか、うるめ、さば、??と??を使用します。
いりこは別の鍋で炊きこの時に、いりこはフライパンで軽く炒っておきます。 臭みをとる為です。 節の??と??を入れる事により最後に口の中で甘みが広がる一番大事な 要素となります。 書けないのが残念です。(笑)
一番だしが出来上がった時点でかけだし、つけだし、かまだし、ぶっかけの だしを各一定の比率で合わせて作ります。 この時にかえしが必要となりますが、かえしとは醤油と味醂や砂糖や酒を 加えた合わせ調味料です。
加熱の仕方、有無によって本かえし、反生、生と呼ばれます。

余談ですがしっぽくうどんのだしは鶏がらをベースとしています。 全く最初から違う材料から仕上げています。 このかえしの原料となる醤油は、愛媛県の宇和島から特別に取り寄せた さしみ醤油であり、あと赤酒やたまり醤油などを使いざらめや濃口醤油と 混ぜあわせ、ことこと煮込んでいきます。
決して沸騰はさせてはいけません。 いい材料を使えばいいものが当然できると思いますが、少しの工夫で安く いいものができると思います。 自分なりにいろいろ本などで勉強し、試行錯誤し、今の味ができあがりました。
特にかけだしは好評であり夏場はあっさりと、冬場はこくのある味に仕立てる ようにしてあります。
自慢できる味だと確信しています。

全てを書ききれないのは残念でありますが、日々の勉強を惜しまず 昨日より今日、今日より明日と最高の出来のうどんを提供したいと 心がけております。

2011年 5月25日 源平うどん店主   佐々木亮丞

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この度は「源平うどん物語」にお付き合い頂きありがとうございました。これからも初心を決して忘れることなく、日々精進したします。
皆様のますますのご利用ご来店いただけますことスタッフ一同心よりお待ちしております。